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Interview

最後までつくり続ける ―壺静たまき工房

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取材・文|坂本忠規(竹中大工道具館主任学芸員)


長く真っ直ぐな線を引くための道具・墨壺。糸をカラカラと引き出し、真上に持ち上げてパンとはじけば、多少の凹凸をものともせず正確な直線を描ける。大工に欠かせない便利な道具だ。

この墨壺には不思議な魅力がある。通常、大工道具は実用性重視で簡素な形だが、墨壺だけは「遊び」がある。流麗な曲線をもつもの、奇抜な意匠を凝らしたもの、巧緻な彫刻を施したものなど、表現の幅は広い。木で作られるため大工自身が工夫しやすく、時にその出来栄えが腕前の証ともなった。

しかし明治以降、専門の職人が登場し、市販品が広まる。やがて東京から新潟県三条へと技が伝わり、一大産地を形成した。だが昭和40年代以降、改良を重ねたプラスチック製墨壺が普及すると、木製墨壺は急速に姿を消していった。今も製造を続けるのは三条市内でわずか2軒。そのひとつ、壺静たまき工房を訪ねた。

三条市内の壺静たまき工房。手前に材木置場が見える
盤材は関東産が多い。木の癖を抜くため最低でも4年は自然乾燥させる

田巻家は父・勇さん(大正13年生まれ)の代から墨壺づくりを手がける。長男の勇一さんも中学から手伝い始め、高校卒業後、本格的に家業に入った。

「当たり前のように家業を継ぎました。長男だったし、周りも職人の家ばかりでしたから。」

当時は墨壺が飛ぶように売れ、人手が常に不足していた。修業の時間もなく、仕事は実践で覚えるしかなかった。

「親父や叔父がすぐ隣で仕事していたから、目で見て学びました。」

盛んな頃には7人ほどの職人を抱え、それでも生産が追いつかず、出来上がりを待つ問屋が軒先に並んだという。

工場の入り口にある材木置場には欅の厚板が高く積まれている。一般的な6~7寸(18~21cm)サイズは厚み2寸1分(約6.3cm)、大きめの8寸(24cm)は2寸5分(約7.5cm)に挽く。昔は8寸が主流だったが、室内作業が増えたことで小ぶりなものが好まれるようになった。

使う材木は欅がメイン。普通の墨壺には素直な材を使うが、杢目を生かしたいときは“股木”と呼ばれる枝分かれの硬い部分を選ぶこともある。

「黒檀や紫檀といった唐木でも作りましたが、鉄刀木だけは刃が欠けて懲りました。あれは二度とやりたくないですね(笑)。」

工場内には機械が並ぶ。型板で外形を墨付けし丸鋸で切り分け、次に「コッピングマシン」と呼ばれる倣い旋盤で型通りに成形する。さらに専用機で墨池や糸車の穴を彫る。

欅の盤材を丸鋸で切り分ける
コッピングマシンで成形。右側の型をなぞり、左側の材が回転しながら削られていく。奥に並ぶのは墨壺の型で、摩耗するため定期的に作り直される
「彫り機」で墨池を荒彫り。型に合わせてビットが動く
妻・智恵子さんもボール盤で糸車の加工を手伝う

「機械が導入されたのは私が仕事を始めた昭和40年頃かな。それ以前はすべて手道具。製材や荒加工は重労働だったと聞いています。」

荒加工の後は小部屋での手刻み。欅の丸太を台として埋め込んだ作業場に座り、両足で器用に材木を押さえながら、鑿で彫り進めていく。股を開いて抑える姿勢に慣れるまで苦労したそうだ。腰痛や坐骨神経痛とは長年の付き合いでもある。

周囲には50本近くの鑿や小刀、彫刻刀が並ぶ。糸車を収める穴を四角に彫るための箱鑿、墨池の底をさらう首が曲がった匙鑿など特殊な道具も見えるが、多くは彫刻用の鑿だ。鶴亀のように彫り物が多い墨壺になると50本の道具の大半を使うという。

「道具は親父や叔父から受け継いだもの、廃業した同業者から譲られたものがほとんどです。」

三角刀を備えた電動チゼルで掘り進める
首の曲がった匙鑿(さじのみ)で墨池の底をさらう

彫りの一部には電動チゼルも使う。伝統工芸ならすべて手彫りにすべきだと批判されることもあるが、段差が出にくいなど利点もある。

「良いものをつくるために最適な道具を選ぶ、それが私の考えです。」

大量生産の時代を過ぎてからは、様々な彫物にも挑戦してきた。縁起物の鶴亀が定番だが、発注者の好みに応じて、干支や四神獣(青龍、白虎、朱雀、玄武)を彫ることもある。

「生き物は表情が大事です。動き出すような生気を込めたい。特に眼光には気を配ります。」

彫刻は独学。名工の墨壺を手本にし、社寺仏閣の彫物も見て回る。新潟県内に残る彫物の名工・石川雲蝶の作品からも学んだ。

鶴亀をはじめ、龍虎、河童、鯉、蛇なども題材にする
眼光鋭い亀の彫物。通常は地に付く腹を、透かし彫りで浮かせている

墨壺づくりの未来を尋ねると、田巻さんは「続くことはない」と静かに語る。

「クラフトフェアなどで私なりに発信してきましたが、あとは時代の流れに任せるしかない。ただ私はまだ挑戦したい形がたくさんある。注文がなくなっても最後まで作り続けたいですね。」

おだやかな口ぶりとは裏腹に、ものづくりへの情熱はいまも燃え続けている。


田巻夫妻

田巻勇一(たまき・ゆういち)
1948年、新潟県三条市生まれ。高校卒業後に墨壺職人の道へ。二代目「壺静」として家業を継ぐ。三条名匠会会員。三条クラフトフェア実行委員会の会長も長年務めた。

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