出土品や古くから伝えられてきた品々を手がかりにすると、古代の墨壺がどのような姿をしていたのかが見えてくる。栄根遺跡(兵庫県川西市)から出土した墨壺は、角材を刳り抜いて作られた、ごく素朴なものである。上面には丸い墨池が掘られ、側板は蕨手状に立ち上がる。使うことを第一に考えた、実直な造りだ。
同時代の墨壺は、平城京跡や志太郡衙跡(静岡県藤枝市)からも見つかっている。いずれも凹型で丸い墨池を備え、飾り気のない、実用品らしい姿をしている。
一方、正倉院宝物の豆墨壺は、少し違った表情を見せる。全長4.2cmという小さな品ながら、墨池の猪の目や蕨手の曲線は丁寧に整えられている。ここには、実用品を超えて墨壺の「かたち」そのものに目が向けられ始めた気配——様式美の芽生えを見ることができる。
中世に入ると、墨壺は古代の名残をとどめながら、しだいに洗練された姿へと変化していく。その一例が、東大寺南大門で発見された墨壺である。鎌倉から室町期にかけての作と考えられる。形は直方体を刳り欠いた凹型(尻割れ)を基本とし、小さな墨池や蕨手状の側板など、古代と共通する要素を残している。
一方で、全体のプロポーションは縦長となり、中央には吊り下げ用の金具が備えられ、糸車も金具で固定されるようになる。墨池にはわずかに木瓜形があらわれ、蕨手は二段の曲線を描くなど、細部には意匠的な工夫が見られる。
応永三年(1396)銘の墨壺(Fig.1)も同様の形を示すが、こちらは儀式用とみられ、金具による装飾はいっそう華やかである。こうした特徴は、近世初期の日光東照宮(図21)や春日大社、東大寺に伝わる儀式用墨壺へと受け継がれていく。
江戸時代の墨壺は比較的多く残されているが、制作年が明確に分かるものは少ない。ここでは、文久3年(1863)銘の墨壺(Fig.5)を手がかりに、その姿を見てみよう。
江戸後期になると、従来の凹型(尻割れ)に代わり、尾部を閉じた口型(穴型)が主流となる。壊れにくさを意識した形で、側板は本体と一体化し、蕨手形は雲形へと変化した。また、専用の下振りが用いられるようになり、吊り下げ金具は不要となった。
壺糸が細くなったことで糸車は薄型となり、大径化が可能になる。さらに墨池も拡大し、全体は上から見ると杓文字のような姿となる。現在作られている墨壺もこの形を受け継いでおり、木製墨壺は江戸後期にひとつの完成の域へと達したといえる。
墨壺は自分で作るもの…だが、なかには細工が下手な大工もいる。腕の立つ仲間に「俺のも作ってくれ」と頼むこともあっただろう。
明治中期、産業の発展とともに建築需要が高まり、大工の数も増えていった。そうした東京で、ある人物が墨壺の受注生産を始めたところ、大きな評判を呼んだ。彼は「坪金」の名で商売を広げ、やがて弟子を抱えるまでに成長する。弟子たちも独立し、ここに“産業としての墨壺づくり”が生まれた。
やがて、職人の一人が事件をきっかけに東京を離れ、新潟・三条へと移る。彼が伝えた墨壺づくりの技は、冬場に屋内作業が求められた土地柄とも相まって、次第に地域へ広がっていった。こうして三条は、地場産業として墨壺生産が根付く地となる。
一方、都市化が進む東京では、製造を続ける環境がしだいに厳しくなり、墨壺づくりは衰退していく。昭和40年代、壺豊の仕事を最後に、「東京墨壺」は静かにその役割を終えた。
戦後の復興から高度経済成長期にかけて、建築需要は爆発的に増加した。それに伴い、三条の墨壺は飛ぶように売れ、機械を導入して大量生産を始めても、需要に追いつかないほどであった。
職人の数が増えると、なかには彫物に秀でた者も現れる。一文字正兼や成孝などである。彼らが作る墨壺は、実用性よりも装飾的価値が高まり、次第に豪華さを追求するようになる。その結果、墨壺自体が巨大化し、長さが「尺超え」(30cm以上)の大墨壺が登場した。主に道具店の店頭ディスプレイとして活躍したのである。
一方、需要の高まりはプラスチック製墨壺の登場も促した。大量生産が可能で壊れにくいことから、木製墨壺は瞬く間に市場から駆逐されていく。バブル期までは、大墨壺の注文は依然として絶えなかったが、バブル崩壊とともにその需要も消えた。令和の時代、世界的にも稀な独特の木製墨壺生産業は、静かにその幕を下ろしつつある。
*墨壺職人・真保孝一(1927年生):戦後に三条で墨壺彫りを始め、「成孝」銘で作品を制作した。精緻な彫刻を得意とし、大墨壺も数多く手がけている。
墨壺職人・小原兼吉:1924年三条生まれ。小学校卒業後に弟子入り。戦後復員して独立。仕事が速く、人の倍の仕事量をこなした。やがて鶴亀を多く手がけ、従来は扁平だった鶴の羽を、ふくらみのある立体的な造形で表現した人物とも。のちに「一文字正兼」を名乗り、大墨壺の制作に専念。後半生は受注による大墨壺制作に従事した。スポーツカーや鯉の養育に熱中したり、制作で得た収入を惜しげもなく使った豪放な人物像も語り伝えられる。
展示品および図録のキャプションは、資料名、作者、製作年、製作地、材質、所蔵者/登録番号、寸法の順に記載した。情報が不明な場合は該当項目を省略した。
出品資料の多くは竹中大工道具館所蔵品であるため、該当資料は所蔵表記を省略し、かわりに登録番号を示した(inv.+A, C, Eを冠した6桁の数字)。
竹中大工道具館所蔵品の墨壺には次の3種のコレクションがある。これらに該当する場合はキャプション中に示した。①安井武雄コレクション、②須田昭義コレクション、③塩野谷莫山コレクション
各図には通し番号を付与し、名称の前に記した。図版中に複数の資料が掲載されている場合は画像の上から順にa, b, cの番号を振って区別した。展示せず参考として紹介したものには(参考)と示した。
資料の寸法については、高さ×長さ×幅の順に示した。